誰がために。
火星と月が綺麗な夜です。
一つの事をやっていていつも最後に行き着くところがある。
というか必ず納得いかぬやうになる。
オーディオなど判りやすくて時代と共にその形態が変わってきた。
流石にエジソン時代の話は知らぬが、物心ついた頃から
ソノシート>>EP、LPなどのアナログ時代を経て、
デジタルのVTR>>DAT、MD、CD>>DVD、BR>>そして現在流行りつつある
じじいの耳には物理的に全く聞こえもしないハイレゾなるものにメディアが移り変わってきた。
車もそう、キャブレターハイオク時代から、インジェクションへ。
そして今電気自動車と移り変わってきた。
アマチュアの手が入る隙もないのである。
安かろう悪かろうの製品を使っているうちはいいのだが、人間の「欲」とは
恐ろしいもので自分の範疇を遥か超えた異次元のモノが欲しくなる。
それを使うことによって恰も自分の技量が上がったかのやうに思うのである。
新しいテクノロジー、先進的な技術、簡単、楽。。。全てその類である。
確かに便利ではある。何も考えることなく全て機械任せなのだから。
趣味の世界とはそういうことなのか?
それが自分にとって本当に満足なことなのか?
新しい製品を買うことで自分の心が癒されるのかと?
今日は一日そんな事を考えながら過ごした。
種問わずメーカーの存在は大事。
技術力に裏付けされた伝統も大事。
でもそれって、誰のために?
全てにおいて商売と名のつく産物の怪物に喰いものにされているのではないのか?
高級だから最高。使いやすいからいいもの。
そうなのか??
新しい技術だけが全てではなく新しい事を思いつく
思考こそが大事なのではないかと。
既に時遅し蜘蛛の巣が張り巡らされた罠に引っかかっているのかもしれない。
そんなこんなで、レトロ沼の住人である事を再認識した夜。
あなろぐ万歳。
2コメント
2018.08.01 07:03
2018.08.01 04:06